取りあえず、為替歴20年の記録を書こうと思います。
でも、どんなことを書くか悩んでしまったので
取りあえず、意思表明だけで終わろうと思います😆
取りあえず、為替歴20年の記録を書こうと思います。
でも、どんなことを書くか悩んでしまったので
取りあえず、意思表明だけで終わろうと思います😆
今日からブログを作成することを決めて、PCに向かってます。
ブログといって、何を書くべきなのかわからずとりあえず
日記みたいなのを書くようにしてみました。
そうそう、自己紹介からします。
45歳のおっさんです。自分の経歴はなかなか楽しい人生だったと思ってます。
良く、社会人しているな。って自分では思ってます。
そんな人生を簡単に、遡ってお話します。
中学から寮生活を行っているので、中学ぐらいから一人ですることを
余儀なくされた人生でした。
その中で、中学~高校~大学と親から離れて暮らしてました。
もともとは薬剤師を目指してましたが、なぜか大学の希望欄の1は薬学部を記載
2番目はどこでもいいかと、なぜか工学部を記載しました。
・・・先生から、工学部の推薦が決まった連絡をもらい。
まぁ、機械も好きだったので、落ちてもいいからと面接に向かい・・・・
気づけば、工学部の学生になってました。
ここで、気づいた大学と学部の真実!!
留年率が・・・まさかの6割!!!!
なぜだ!!とびっくりしました。
それもそのはず、まず、大学のある市が違います。
1年目のキャンパスと2年目のキャンパスが違うんです。
距離も、30kmぐらいは離れているので、1年目に単位が足らないないと
大きく足らなければ、留年になります。
しかし、数単位足らない状態であれば一応進学はできますが・・・・・
そう!! 離れた市に単位を取りに通わないといけないのです。
つまり、2回生の講義を受ける場所と落とした単位を取りに行く場所が違い
且つ距離があるので、コマが近いと物理的に受けることができないのです。
これが、2回生の留年のポイントです。
更に、まだ留年のポイントが控えているのですが・・・・
これは次回更新の際にお話しします。
っといった感じでおっさんの昔話をしながら日常を記載していこうと思います。
気が向いたら見て行ってください。